仲条幸一のブログ

仲条が感じたり考えたことを書き連ねるブログ

とある表現家の閉幕

6年ほど前のことになるけれど、
毎週金曜日、僕は埼玉県にある大宮駅の前で路上ライヴをしていた。

2年ほど続けた中で色々な人と出会ったが、
その中で、独りの表現家に出会った。

その人は、路上で筆を持ち、言葉を書く活動をしていたようだった。
しかしその人はぱっと見て、暗い出で立ちをしており、
明らかに不健康の雰囲気を醸しだしていた。

僕はそんな彼の隣でピアノ弾き語りをしていた。

彼は僕の隣で筆を持っていた。

お互い、お客さんはいなかった。

そして僕たちは仲良くなった。
何故かも、どうやってなのかも忘れてしまった。
声をかけた気もするし、かけられた気もする。
良い歌うたうね、と言われた気もするし、
良い言葉かきますね、と言った気もする。
当時を考えれば、仲良くなったのは奇跡のような気がする。

それから何回も路上を一緒にし、
飲みにも行き、
朝まで彼の家で音楽雑談をしたこともあった。

そんな彼から、先ほど電話があった。
僕はEveryLittleThingのfragileを弾いていた。
なんて良い曲なんだろうと思っていた。

そんなところへ彼は
「ブログにも書いたんやけど、就職するんで、表現活動を止めることにしました。今までありがと」
と言ってきた。

何も言えなかった。
「仕方ない」とか「諦めんなよ」とかは思わなかった。
わいてきたのはなんとも言えない悲しさ。そして怒り。
なぜ、彼は表現活動の停止になってしまったのだろう。

その答えは簡単で、
やはりお金がないからである。

就職しながら表現する、という2足のワラジを出来るほど器用な人間でもない彼は、
お金を求めて仕事に就くことにしたのだ。

彼の作品は売れない。
しかし誤解してはいけないのは、
彼が売れないのは、売る作品を作っていないからである。
もはや売る気がないと言っていいのかもしれない。
彼の作品からは、出会った当初あったポピュラー性がどんどん意図的に排除され、
その代わりに抽象的な部分が強調されていった。
音楽で言えば、ポップスをやっていたはずなのに現代音楽にはまってしまったような印象が強い。
でも
彼の作品は、音楽で言えばロックだったと思う。
相手あっての作品なんかくそくらえだったのだろう。
相手にしていたのは個人ではなく、
まるで、時代そのものに一矢報いてやろうとしていたような。
そんな、とにかくも不器用で独りよがりでカッコわるかった。
だけどそれが馬鹿みたいにカッコよかった。
僕は書のことも絵のことも全く分からないけれど、
有無を言わせない衝動がそこにはあって。
それが他の誰にも真似できない彼の魅力であることは、もう理屈じゃなかった。




「仲条はもっと宣伝しなきゃ駄目だ」

電話の後半、なぜか僕へのメッセージに変わっていた。
これが最後だとでも言うのだろうか。
まったくもって似合わなくて笑ってしまった。

自信をもてと。良いもの作っているぞ、と。
全くもって僕が貴方に言いたい言葉ばかり言われた気がする。
やれやれである。
この辺りから、彼は勝ち逃げしたんじゃないかという気がしてきた。
彼は諸刃の剣で戦っていたから、自分自身も相当傷ついていたけど、
実は相手からの攻撃は受けていなかったんじゃないか。

ともあれ、彼は新しい舞台へと向かうのであれば、
やはりその舞台での活躍を祈るばかり。
がんばってほしいと本気で思う。友達。
CDができたら是非、渡しに伺いたいと思う。


大宮駅での出会い。
あの怪しい出会いは何にも代え難いものがあります。

その時に書いてもらった物は今でも大切にもっていますよ。
僕はいくつも作品を書いてもらったけれど、やっぱりこれが一番好きだ。

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いじょう!