仲条幸一のブログ

仲条が感じたり考えたことを書き連ねるブログ

バスケと体罰

中学校のころ、私はバスケ部であった。
部は対して強くもなかったが、
毎日それなりにがんばって練習をし、
土日も体育館に集って練習や試合をしていた。

小学校の時、ミニバスという小学生によるバスケットチームがあった。
私はそれに入りたかったけれど、様々なリユウにより入らなかった。
中学校は友達ゼロの、違う学区域に転校したので、
心機一転、バスケ部に所属しようと、入学前から決めていた。

持久力がなかった。
ぜんそくをもっていた私にとって、走るのが常であるバスケットボールは想像を遥かに超えて地獄だった。
ランニングをすれば最後列だったし、
運動能力は軒並みひどかった。
しかし、それでも部は辞めずにがんばって続けていたのは、
なんでかよく分からない。


ある夏の練習日、顧問の先生が見守る中。
部員はコートを全面で使ったレイアップのシュート練習をしていた。
順番待ちしている生徒たちは、シュートするチームメイトに声援を飛ばす、という
どこにでもある練習風景だった。

そこで、顧問の先生が順番待ちしている私のところへやってきて、
思いっきり足で蹴とばしてきた。

「おまえいったいなにやってんだよ!」

私はいったいなにが起こったのかわけがわからず、
ただ数メートルふっとばされたことと、
足にわき上がってきた痺れが、
ああ、俺、今、蹴られたのか、と実感させ、
なんともいえない恐怖感をもたせていた。

「もう練習は中止だ!全員帰れ」

と、顧問は叫んだ。

これは、まずい、と思った。
決して部の中で、私は良い立場の人間じゃなかった。
実力の面ではもちろんのこと、コミュニケーション力に乏しかった私は、
部のヒエラルキー最下層の自覚があった。
その私きっかけで、何らかのリユウにより、この人間は怒っている。
このことは必ず後で良くない状況を生み出す、と直感した。

「練習を中止にするのは止めてください」

と顧問に向かって叫んでいた。
声は明らかに震えていたのを覚えている。

こちらに非はなかったと思う。
少なくとも、今思い出す限りにおいて、
ふざけていたわけでもなく、
シュートをミスしたわけでもなく、
声を出しながら順番待ちしていた。と思っている。


この私の叫びを顧問は
「そう言うとは思っていなかったな」
とだけ返したものの、
結局この日の練習を終わりにした。

顧問にとっても私の反応は意外だったようだった。


この事は私は誰にも言わなかった。
家に帰ってからはもちろんのこと、
クラスメイトの誰にもこちらから話すことはなかった。
それは悔しさや訳のわからなさからではなく、
単純に恥ずかしかったからだ。

しかし顧問に蹴られる現場を目撃していた他の部員は、
噂をまわしにまわし、
クラス中にまわり、
学年にまわり、
最終的には校長の耳に届いた。

この事態をおそらくまずいと思ったのであろう校長は、
顧問を一緒につれて、
私の自宅に謝りにくるという事態に至った。

顧問と校長は、我が身の保身のために私の家にまで侵入し、
私と私の保護者に向かって菓子折りを渡し、
頭を下げ、
なにかに対して謝っていた。

それを今でも忘れられない。
大人とは、こんなにも気持ちの悪い生き物なのかと吐き気がした。

以降、私にとって
熱意をもって怒号を飛ばしながら指導していた顧問は、
偉そうなただのおっさんに成り下がったのは言うまでもない。



昨今、体罰の話題がつきない。
当たり前だけれど、報道されているものなんて氷山の一角に過ぎない。

私にとってあの体育館の蹴られたシーンと、
私の自宅というプライベートゾーンにまで侵入して、
校長に促されなければ謝ることもなかっただろう生き物への失望。
一生忘れることはできない。

子どもにとって学校はソーシャルな場所だ。
はじめて形成する、社会的な場所。
その形成を失敗するという経験は、損失が大きい。
なかったことになんて出来ない。
やり直しもきかない。
謝るなら最初からするな。
私の人生を、勝手に書き換えようとするな。

指導者に出来るのは、示すことだけだ。


いじょう!