編曲を作曲とは言わない時代に
佐久間さんの手術が無事成功
音楽プロデューサーの佐久間正英さんが、脳腫瘍の手術に成功した、というニュースを見ました。
失礼ながら、そんなに酷い病気を患っていることも知らなかった私でしたが、
佐久間さんのブログには、手術前の近況が綴られており、決して
http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html
編曲(アレンジ)は作曲ではない
最近少しずつですが、ミュージシャンの出すCDの編曲を任されるようになってきました。
これは大変光栄で嬉しいことです。
コード進行と歌のメロは決まっていて、その他の楽器をパソコンで打ち込んでいく作業。
ピアノ鍵盤を弾いている時間は以前と変わりありませんが、出てくる音がドラムやらベースやらバイオリンやらシンセの音に変わりました。
なんて便利な時代なんだろうと痛感中。
そこである時、ふと思ったのは、
「この作業は、なぜ作曲と言わないのだろう」
ということでした。
クラシックと呼ばれるジャンルで育った私は、モーツァルトやらショパンやらを聴いて育ちました。
モーツァルトが作曲した楽曲、といえばそれは当然ながら1人で弾くピアノ曲だけではなく、
何十パートにも別れるようなオーケストラの作品まで作っていました。
つまり当然メインメロディーだけではなくて、
ストリングスのハーモニーも、管楽器の副旋律も、ティンパニーのような打楽器も、チューバのようなベースも全ての音符を作曲していました。
ポップスやジャズではこれは違います。
メインメロディーとハーモニー(コード進行)の指定を、作曲と呼び、
どんな楽器を使うとか、どんなサウンドにするか、などは編曲と呼ぶ訳です。
不思議なものです。
そして著作権は当然ながら、編曲者にはありません。
これは決して文句を言っている訳ではないし、だから何だという訳でもないのですが。
同じ音楽の枠組みであるはずのクラシックではあり得ません。
同じようにプロデューサーもあまり焦点が当たる事がありません。
佐久間さんの名前をどれだけの人が知っているのでしょうか。
もちろん音楽を聴く側の人にとって、誰がプロデュースしているか、というのはある意味、どうでもいいことかもしれませんが。
多くの著名アーティストは、アーティストだけでCDを作ったりライヴを表現している訳ではないのです。
そういう意味では、初音ミクなどのボーカロイド作品は通常、作詞も作曲も編曲も全て「P」と呼ばれる作り手が担っているので、クラシックに近いのかもしれません。
それもこれもDTMの発達のおかげ。
私だって自室で、それこそ何十万円か程度の投資で、パソコンでアレンジ作業が出来てしまう訳です。
佐久間さんはプライベートスタジオを作るの2億をかけたそうです。
それこそまだDTMが発達する前だったようですが。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
この時代に感謝。
弾けない楽器が弾けるという、不可能なことが可能となり、
あとは想像力のみが試されるという連日のアレンジ作業はとても充実しています。
そうだ、このアレンジが落ち着いたら「一日一曲作曲公開」という企画をはじめたい。
毎晩、短い曲を一曲作曲して公開。
佐久間さんも「おやすみ音楽」というタイトルで1000夜以上、なさっているとさっき知りました。(無論いまは更新が止まっていますが)
私は「おやすみせかい」というタイトルでやる。
辞め時が来たら、潔く辞める。
何をもって辞め時というか分かりませんが。
明日は夕方からライヴのリハ。
明後日からはライヴの鍵盤サポート3daysです。
たのしみ。
いじょう!