村上春樹の新作がamazonのレビューでとんでもないことに
低評価のレビューに19002人が参考になった
目が冴えてしまいました。
先月、村上春樹さんが新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を出版。
ちょっとした社会現象になって、ニュース等で取り上げられています。
そんな中、概ね好評価であるなあと思っていたのですが、
amazonのカスタマーレビューがとんでもないことになっていました。
5月3日にドリーという方が書いたカスタマーレビューに対して、
19002人が参考になったという、前代未聞の驚異的な数字をたたき出しました。
普通は1000も超えません。
しかもその内容は、この新作の批判。
このレビューに対するコメントを観る限り、よく言った!という内容が大半のようです。(ちなみにコメント数も332件。これも普通は10もいきません。)
このレビューを読んでみると、なるほど、ドリーさんの文章センスはすごい。
人を惹き付ける書き方を心得てるのか、無意識なのか。
確かに作中のこの言い回しは、現実では変だよなあとか。
そんなシチュエーションは、実際にはあり得ないよなあと、
本作品を読んでいなくても、思います。
そう、私は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んでないので、これが作品が良いも悪いも言える立場にないのですが、
逆にこのレビューを観て、読んでみたくなってしまいました。
文学なのだから文学的表現や詩的表現はあるのが当然だと思います。
現実では妙な言い回しも、それが作品として必要ならば。
違和感を覚える表現はたくさんあって、それがまた素晴らしかった。(比べている訳ではありません)
しかし実はさきほどまで村上春樹さんの旧作『1Q84』を読んでいて。
ようやくようやく読み終えました。
ドラマチックな展開にちょっと頭がついてこず、
牛河さん無しで最後まで読み終えられた自信がありません。
牛河さんの精神的部分の描写はすごく惹きこまれました。
だからこそ、思う、なぜ、あの終わり方、、
パラレルワールドといってしまえば全て回収されてしまうのかもしれませんが、
読後感としてはなんだか色々と腑に落ちません。
私はこのカスタマーレビューを観て思ったのは、
村上春樹の考える「孤独」や「寂しさ」と、
一般的な人たち、特にネット住民にとっての「孤独」「寂しさ」が、
少し離れてしまっているのではないか、ということです。
『1Q84』では「愛」や「存在すること」について描写されているシーンが多くありました。
しかし、私は、あれだけバーで男をひっかけたり、様々な女性とねんごろになっている主人公達を前提にした展開に、
論理的に納得できても、共感はできなかった。
「愛」や「存在すること」を否定している訳ではない。
なのに、共感ができない。
ここにあのカスタマーレビューが発生した原因として挙げられるのではないかと思いました。
***
しかし、カスタマーレビュー。おそろしい。
文学を批判的に観るというのは、別に良いことだと思います。
テーゼに対するアンチテーゼ。
ああでもない、ここが面白い、いやここが駄目だ、などなど言い合うことは、
結果として、観る人たちの目を養います。
だからこそ、村上作品ファン側の人も自信をもって、できれば根拠ももって、推薦してほしい。
いじょう!