仲条幸一のブログ

仲条が感じたり考えたことを書き連ねるブログ

消火器と鳥の唐揚げ

昨晩は遅くまで眠れず、youtubeを見ていた。
寝たのは3時か4時くらいだ。

起きると、私の家の庭に消火器がぶちまけられており、
車の上には食べかけの鳥の唐揚げが置いてあった。

明らかな、悪意である。

人間の業とはすさまじい。
きっと彼(彼女)らは、明確な悪意を持っているけれど、
さながら風船のように軽く中身のないふわふわした気持ちで行為に及んだのであろう。

加害者と被害者の溝がここにある。
受け手は加害行為によっていかようにも傷つけられる。
風船は加害者から離れてから形を変え、鉛にも、ナイフにもなり得るのだ。

粉末性の消火器の粉は、その特性からアンモニア臭を持つそうだ。
散布された範囲は広く、しかも目立つ。
匂いは近隣に迷惑だし、まるで晒しものだ。

郵便ポストの中にも鳥の唐揚げが置かれていたそうだ。
それを取り除く時の気持ちが、お前らにわかるのか。
のちのち、虫がたかりはじめ、それらを駆除する気持ちがお前らにわかるのか。

私は憤っている。

私はこうしてここに書くことができるからまだいい。
ではこうして書けない者の場合はどうなる。
理不尽な暴に、深く傷つき、
心的外傷を深く負った者はどうなる。
その痛みを、言葉にすらできない者はどうなる。
誰にも相談することができない者は。
ただ耐えることしかできない者は。

死んでしまうんじゃないのか。

つらいことを誰にも相談もできず、
止めてほしいことを止めさせることもできない者が、
まるで被害者である自分が悪いような感覚に陥ってしまう者が、
確かに存在するんじゃないのか。
他者から受けた悪意を解決する方法に、解放される方法に、
死を選ぶことだって、あるんじゃないのか。


消火器と鳥の唐揚げ。
これは人を死に追いやる行為である。
あまりにも他人の気持ちを想像する能力を欠いた、殺人未遂行為。