異文化交流
先日は川口の総合文化センター・リリアへ。
日本でおそらく最も有名であろうアコーディオン奏者cobaの演奏を観に行った。
題目は「セッション夜会」ということで、
ゲストには吉田兄弟(津軽三味線)と Fried Pride(ジャズポップの男女ユニット)。
アコーディオンと三味線のセッションや
アコーディオンとギター2本のセッションなど、
アコーディオンを中心にしたセッションでした。
アコーディオンと三味線という組み合わせはおそらく史上初、というわけではないと思うけれど、
私はこの組み合わせを生で見たのは初めてで、
えらい興奮した。
アコーディオンの起源は笙にあるともいうし、
それがドイツに渡り、そして日本に帰り、こうしてポップスで使われている経緯。
そして、かたや三味線を土着的なものを土台にしつつ、ポップスに導入した吉田兄弟の経緯。
だから相性がいいのも一理かもしれないなあと思った。
まあいってみれば何でもありに近いセッションだったけど、これはこれで楽しかったということです。
先日、奈良で拝見した鍵盤ハーモニカと声明(仏教音楽)のセッション。
声明の歌い手には、本物の豊山声明のプロ(という言い方は変か)が呼ばれていて、
こんな俗世のセッションに来ること自体が信じられないことであった。
セッションは2曲。
声明でいつも奏でられている宗教音楽を2曲演奏し、
鍵盤ハーモニカがあわせる、という内容。
これもとても面白かった。混沌の世界。
演奏終了後、とある視聴者が質問した。
「鍵盤ハーモニカは鳴り響いている音に合わせて変化させているのがわかったのですが、声明は何か鍵盤ハーモニカと合わせたり変化したりした部分はあったのでしょうか?」
それに対して、
「いや、いつもどおり演奏することだけで精一杯でした」
と声明の方は応えた。
そこに鍵盤ハーモニカ奏者として呼ばれていた松田昌さんが次のように応えた。
「僕もリハーサルのとき、何か変わるのかなあって期待してたんですよ。でもよく考えたら、そんな簡単に変わっちゃだめなんですよね。何十代にも渡って口伝で伝承されてきた文化が、たかだか鍵盤ハーモニカなんかと一緒に音を重ねただけで変わるわけがないんです」
まさにそのとおりだな、と思った。
自文化中心主義だろうが文化相対主義だろうが、
根底にあるものは自己以外ありえない。
音を重ねることによって生まれた不調和が、逆に声明を浮き彫りにして、
鍵盤ハーモニカの可能性を顕在化させたんだなあと実感。
変わるものと変わらないものをみた、10月の末でした。
はて
さて
かぼちゃの次はサンタクロース。
街はオレンジ色からイルミネーションへ。
私は家で読書。
ライブ告知は明日します。
11月12日のお昼、高田馬場「四谷天窓」の件。
いじょう!