仲条幸一のブログ

仲条が感じたり考えたことを書き連ねるブログ

オルタードテンションノートの下方変位を多用

・24日
川口CAVALLINOでライヴ。
お越しいただいた方、ありがとうございました。

色づかいには気をつけよう。
黒のようで、黒じゃなかった。
私がやりたい音楽は、ちょうど皆既日食みたいなものかなあと思った。


・25日
昼間は大学の合唱で伴奏のお手伝い。
クラシックとポップスとジャズは対理念が多いと確認。

夜は越谷の秦基博こと、小川恭平と一緒に路上。
彼のその陽だまりの唄声を、
私はひたすら鍵盤ハーモニカを吹き続けた。

彼の歌声はきれいだ。きれいすぎる。
だから私がその背景を真っ暗にする必要がある。
そうすれば、青空も雲も見えず、
太陽と聴く人が2人きりになれる気がする。

そのあとは一緒にごはん。
彼と一緒にひとつのパフェをはんぶんこした。
男2人がパフェをはんぶんこして食べるというその現実に私たちは立ち向かった。


最近、新しい出会いが多い。
それはつながりを経たり、私の音楽の口コミであったり。
うれしいことである。
いろいろ試させてもらいたい。

先日は初音ミクと出会った。
彼女の歌う歌の中には、よく
「私にだって感情はあるんだよ」
「私だって恋をするんだよ」
という歌詞をうたっている。

しかし(夢のないことを承知で)彼女はボーカロイドであり、
歌声は、肉声に似せたパソコン上の音源でしかない。

しかししかし、初音ミクの歌は、間違いなく歌であり、
そこには感情を感じることができる。

そうすると私やそこらの路上で歌っている人たちの歌と、何が違うんだろう、と考える。
初音ミクの活舌は、聞き取りやすい作品も多い。
音程だってパーフェクトだ。

じゃあ人間が歌う意味は何なのだろうか。


西洋音楽の最大の罪は、
コンサートホールを造ることで、音楽をコンサートホールに閉じ込めて、
コンサートホールで聴くことのできない音楽は、音楽ではない、という考え方を深層心理を生み、
日常の音は音楽(楽音)ではない、としてしまい、
結果として騒音問題を生んだ、というのが50年前ほどの話。

それとまったく同じことを初音ミクに感じる。
人間が歌う歌は、なぜ、歌なのか。
ボーカロイドでは、いけないのか。

マイクを使い、アンプを使い、
CDにするときは音程をいじり、EQをいじり、エフェクトをかける。
その意味を再度、確認する必要がある。

こんな曲があるんだもの。
宮沢賢治も驚愕だ。


長くなりましたが、
あさって、28日は今年最後のライヴです。

川口CAVALLINOにて、17時から。
忘年会ライヴということらしいですが、私は私の好きにやろうと思います。
参加費が1,000円かかりますが、もしよろしければ。


いじょう!