小説『夏の駄駄』と「オールドルーキー」にみた自我の跡
こんばんは、仲条です。
ブログのデザインが変わりました。
友人である小説家・福森亮太さんに大部分を手伝って頂きました。
頭が上がりません。ありがとうございます。
小説『夏の駄駄』
小説『夏の駄駄』を読んだことはありますでしょうか?
おそらく99%の人は読んだことがないと思います。
これです。
- 作者: 福森亮太
- 出版社/メーカー: 福森 亮太
- 発売日: 2013/02/03
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
この小説はamazonのkindle限定の書籍で、
先に挙げた、福森亮太さんが「自身のひきこもり生活を題材に執筆した作品」です。
ひきこもり生活を題材。
その文章は、当事者の「ひきこもっている自分」を客観的に見て、その時の感情を生々しく説明過多に描写していきます。
いわゆる「面白い」作品ではありません。
小説によくある劇的な物語も、衝撃的な出会いや事件も一切起こりません。
ただ淡々と、退廃的に進んでいきます。
一見すると明らかに危険な匂いがします。
あぁ、こいつまずいな、って。
「そっちにいったら駄目」な匂いと「いわゆる大人になれない人の駄々」の匂い。
社会にとけ込むタイミングを逃した社会不適合者だなって。
というよりもはあ自分からそれを望んでいるような、破滅願望があるのかなって。
これ、最後はどんなオチがあるんだろうって。(終わり方は言えませんが)
読了後。
私は、これは「希望」をテーマにした作品であると感じました。
以下は私見ですが、
一度は「死んでしまってもいいんじゃないか」と考える人ってそんなに少なくないと思うのです。
しかし、そのほとんどの人は「自分は死んでも問題ない」という感覚に徹することが出来ない。
そしてその側面には「それでも殺されることはいやだ」という感覚があって、
「自分の死に方は自分で決めたい」という欲がある。
死なない人間はいない。
故に人間の終着点が「死」だとするのならば、
私たちは「死に方」こそこだわるべきなのではないだろうかと。
この作品が、その手順を説明している訳ではないけれど、
その苦悩や挫折や違和感の先にある一縷の希望が見え隠れしていました。
私は亮太さんとは、5年前くらいに路上で出会いました。
亮太さんがどんな人かを少し知っている私としては、
全く亮太さんのことを知らない人の視点で読むことは出来ませんでした。
彼のことを何も知らずして読むことを、私が安易に勧めることのできる代物ではないような気がします。
ですので、彼と私のラジオなどで彼のことを少しでも知ってる方。
ぜひ「無料サンプル」を見てください。
そして、どこか自分の琴線に触れるような何かを感じたら、間違いありません。
150円という値段は安すぎる、窮屈で偏屈な世界が体感できます。
ちなみに亮太さんに教えてもらうまで知りませんでしたが、
ハードとしてのkindleは持っていなくてもスマートフォンがあればkindle書籍は読むことができます。
私はiphoneのアプリで読みました。
購入方法やら詳しくはこちらに勝るものはないので、委ねます。
http://rfmori.blogspot.jp/2013/02/kindle.html
竹原ピストル「オールドルーキー」
この小説を読み終わったあとに浮かんだ曲。これでした。
まさにこの曲がぴったりなんじゃないかなあと思うのです。
小説の附記に、雨の予感に当事者が高揚する、という書き方があって、
それは「オールドルーキー」同様で、とても共感するものがありました。
いじょう!