仲条幸一のブログ

仲条が感じたり考えたことを書き連ねるブログ

日暮里とコード

ひぐれざと

と読みたい気持ちはよく分かる。



コード進行に埋もれている。

Cはドミソで構成される和音だけれど、
なんていうかその構成音がCに見えなくなって、
Cがなんていうか、Cという空間を意味していて、
ふわふわと浮いているCの中で、自分はどこにCを意味づけするんじゃないか、と、
思う今。

すなわち、

日暮里は、にっぽり、読むけれど、
ひぐれざともやっぱり日暮里で、
ということは、にっぽりはひぐれざとかもしれない。

Cはどこにもない。
ドミソはCじゃない。
Cはただの記号だ。



今日は、もう何万回も繰り返してきたはずのC-G-Cの進行に埋もれている。

いじょう!