日暮里とコード
ひぐれざと
と読みたい気持ちはよく分かる。
コード進行に埋もれている。
Cはドミソで構成される和音だけれど、
なんていうかその構成音がCに見えなくなって、
Cがなんていうか、Cという空間を意味していて、
ふわふわと浮いているCの中で、自分はどこにCを意味づけするんじゃないか、と、
思う今。
すなわち、
日暮里は、にっぽり、読むけれど、
ひぐれざともやっぱり日暮里で、
ということは、にっぽりはひぐれざとかもしれない。
Cはどこにもない。
ドミソはCじゃない。
Cはただの記号だ。
今日は、もう何万回も繰り返してきたはずのC-G-Cの進行に埋もれている。
いじょう!