仲条幸一のブログ

仲条が感じたり考えたことを書き連ねるブログ

私の曲を吹奏楽部が演奏してくれた件

きこきこりんりん

秋。全国各地で合唱コンクールで賑わいはじめる芸術の季節です。今日は、渋谷区のとある中学校が毎年行っている合唱コンクールに行ってきました。この中学校は去年の6月から今年の3月までの9ヶ月間、私が講師として音楽の授業を行っていた場所。去年3年生だった子どもたちは無事に全員卒業し、今日学校に居るのは中2と中3に成長していた子どもたち。快晴の本日、午前中はそんな子どもたちの合唱を。午後は有志の発表を参観した。聴いていると、音楽の裏側を想像してしまう。この曲を本日歌い上げるまでに、クラスではどのような練習が、協力が、葛藤が、あったのだろうか。彼ら、彼女たちなりに胸をはり、歌う姿はとても素晴らしかった。

 

午後、吹奏楽部の演奏発表が行われた。私も指導に関わっていた吹奏楽部。プログラムに載っていたのは吹奏楽の定番の3曲。去年から新一年生の部員もかなり増え、去年とは比較にならない演奏レベルの発表に、生徒も指導者が素晴らしいなあと思う一方で、昨年度の私の力不足は反省せねばな、と思う。吹奏楽部ならではの盛り上げる工夫も多くみられ、誇らしそうな子どもたち。素晴らしかった。

 

しくまれたアンコール。アンコールでは、大仰な前フリの司会の後、私の作った曲を演奏してくれた。私が20歳くらいの時に、私のために作った歌。その歌を、吹奏楽部が演奏し、それに合わせて中2と中3が、スタンディングで歌ってくれるという異様な光景。あの光景を、私は生涯忘れないと思う。

自分のために作った歌。多くのシンガーソングライターはそうであると思うのだけど、歌は、作った人の世界そのものだ。自己完結しているし(していなければならないと私は思っているし)、その世界の中心は、作詞し、作曲し、歌っているその人だ。その世界の住人になることはあっても、何かを分け合っている訳ではない。共感はあっても、共有はないのだ。

しかし今回、吹奏楽部が演奏したいと言ってくれたこと。図ってか図らずか、手拍子と共に肩を組みながら歌っている子どもを前に、私は今までに感じたことのない感覚が身体に走った。あの瞬間、あの歌は完全に私の手から離れていったのだ。

決して、中学生ウケはしないだろうと思っていたあの曲が、まさかこのような成長を遂げるとは思ってもいなかった。私も忘れないし、子どもたちにとっても思い出の曲となってくれたように思う。これは嬉しいというよりは、なんだか誇らしい。私の作った音楽が、私の思わぬ歯車をもって、回り始めたようだった。音楽とは分からないものだな、と思う。

 

iphoneで映像を少し録りました。途中でそれどころじゃなくなってしまいましたが。

しばらく載せときたいと思います。

 

  

子どもたち、ありがとう。先生もありがとう。

今夜は一人で飲んだくれようと思っております。